長野県で昨年から各地で行われている御柱祭りの最後が5月3日〜5日まで小野町で行われるとの事でした。
昨年は木曽平沢の御柱を撮影に行きましたが今年も写友4人で小野の御柱祭りを撮影に行くことになりました。
JR中央本線塩尻駅から一つ戻った小野駅に着いたのは12時半頃になっていました。駅は臨時の切符売り場も設けられ関係者も多く、賑わっていました。
後で分かったことですが7年に一度の御柱祭りの為に臨時列車なども走っていますが普段は無人駅とのことでした。
早速、木々に囲まれた神社のある場所に着くともう里引きの終わった御柱は数人の若者がまたがりワイヤーロープで徐々に引き上げられていました。
時間をかけて垂直に立てられた御柱からは花吹雪や垂れ幕が垂れ下がりご祝儀の餅なども巻かれています。
今年の特徴は「祝 東日本大震災の早期復興を願う」と言う垂れ幕でした。
午後3時を過ぎた頃から雨も降り始め、今日の御柱が無事に立てられて祭りも一段落した4時頃に撮影を終えて帰ることにしました。神社を出た所の沿道では雨に濡れながらの大名行列が到着していて、まだまだ祭りは続いています。
途中の里は風に吹かれた鯉のぼりや菜の花なども咲いていてのどかな山里と言う感じです。祭りばかりでなく、のどかな五月晴れの里の風景も撮影しながら歩いていると心も洗われるようでした。
昨日は塩尻に予約していたビジネスホテルに泊まって今朝早く小野町にやって来ました。朝の9時から始まる御柱祭りはもう始まっています。町の中を里引きと言って御柱に綱を付けて大勢の人で引いて回っていました。少し引いては御柱の上で祭りの歌を歌って神社のある森に向かいます。
里引きの御柱の先頭は子供達が大勢参加して引いています。御柱は少し歩いて立ち止まり、なかなか前に進みません。子供神輿を担いで回る祭りと違ってのんびりしていて退屈そうにも見えました。
里引きの終わった御柱は神社の森でいろいろな神儀などが行われます。引いてきたばかりの御柱では引いてきた若者達が御柱の上からご祝儀のお餅や煎餅、賽銭など紙吹雪と共に投げられて子供達が必死になって拾っていました。
神社のある広場ではいろいろな行事が行われ、子供達も太鼓などを叩いたり踊りを踊ったりで祭りを盛り上げています。7年1度の御柱祭り、練習も充分で息もぴったりでした。
此処は社務所、巫女さん達や祭りの世話役など大勢出入りしています。午後3時過ぎ、一休みをした世話役や町の名士達がお土産片手に出てきました。御柱祭りはあと、ひと踏ん張りです。
今日も塩尻から小野町に朝9時頃に着きましたが今日はすぐ御柱の里引きに行かずに街道沿いに残る古い街並みを撮ることにしました。昔からの大きな旧家や武家屋敷かと思える家などが続いていてなかなか風情があります。旧家の軒下の珍しい作りや塀など記録的にも貴重なもので何とか組写真にならないかと夢中で撮っていました。
この辺は少し盛りは過ぎていますがまだまだ桜が咲いています。桜に誘われてやってきたら小学校の校庭でした。今日は祭りの日、校庭にも学校にも人影は全然見あたりません。町は御柱一色に染まっています。
祭りを離れて撮影をしていましたが11時頃、神社のある森にやって来ました。丁度、御柱が到着して最後のひと引きです。ラッパ隊のリズムに合わせて力強く御柱を引いています。話しに聞くと小野町は藩同士の決め事の際に細い川を挟んで二つに分けられ、この同じ森に小野神社と矢彦神社があります。それぞれの神社で3日間に4本ずつ計8本の御柱を立てるわけでこっちで立てていると思うと又、別の御柱が引かれてきます。こちらもなにがなんだか分からないほどで盛大と言うか忙しすぎるというか大変でした。
大名行列の中で子供のお殿様を見つけました。馬に乗って懐には上位の手紙が見えます。子供は緊張した顔でじっと待っていました。こんな役を貰うのには相当な金もかかると聞きました。
境内ではいろいろな催し物が行われます。若者達の今風な踊りやどじょうすくいなども午後2時頃の御柱祭りは最高潮を迎えていました。
我々も今日が最後なのでもうそろそろ帰り支度をしなければなりません。この3日間は同じ御柱祭りでも昨年と違う珍しい盛大な祭りの
撮影を堪能した3日間でもありました。
たまに森の表にでると沿道でも祭りの行列がありました。又、これは変わったお面といでたちです。変な化粧をして絵柄の入ったシャツと腰にはサイコロや草鞋などいっぱいぶら下げていました。