去年は一人で新潟から男鹿半島まで入梅前の6月初旬に一週間ぐらい、漁港巡りの撮影旅行に行きました。今年も同じ時期に能登半島に行きたいと思っていました。6月の入梅前は気候的に寒くもなく暑くもなく、明るい時間も長いので車で行くには最適の季節です。ところが3月に能登半島地震があり、復旧のことなども考えて入梅空けの8月初旬に変更しました。当初、写友も一緒に行く予定でしたが健康面で断念したので一人で行くつもりでした。去年は行きたいと言っていた家内に撮影旅行と言うことで一人で行きましたが写友が行かなくなったことで今年も「では私が」となり、今年は二人で行くことになりました。
朝の7時頃に家を出て、相模湖ICから中央道に入り長野道の松本ICを降りて158号線を通り、平湯温泉で471号線に入り富山市を抜けて氷見に着いたのは夕方の5時半頃でした。取りあえず海に出て氷見漁港へと思い、着いた所は氷見漁港手前の松田江浜海水浴場でした。
今日は花火大会らしく、海岸通は花火の為、午後7時から車の交通規制の表示がありました。海岸では子供達は泳いだりしながら花火見物の場所取りが始まっていて海岸沖には花火を上げる台船も見えました。土地の人に聞くと今年は市政30周年記念でいつもは1000発位の花火が今年は5000発上げるとの事、ちなみにこの辺で多いところでも3000発位と言っていました。「ゆっくり見ていってください」と言われたのですが車の置くところや混雑等も考えて、隣の氷見漁港を見ながら先に進むことにしました。
昨日は松田江浜海水浴場隣の氷見漁港に行きましたが大きな漁港で船も大きく写真的には魅力が有りませんでした。その後、海岸線を走りながら小さな宇波漁港では防波堤にマリリンモンローや歌麿的な絵など日本画や洋画などが書いてある珍しい漁港を撮って日の暮れた頃に道の駅「いおり」に着きました。氷見市を過ぎるとこの辺まではお店なども無く、本当に静かな寂しい海岸線です。ちょっと山を越えて七尾に行きコンビニがあったので食料調達して戻り、朝を迎えました。6時を過ぎると太陽が上がってきて真っ赤な朝焼けです。車を降りて駐車場から早速、日の出の撮影。日の出を見るのは去年6月以来かな?、ここは能登半島の富山湾側なので夕陽は見られないけれど朝日は見られます。やはり日の出の太陽は夕陽と変わらないようでも清々しい気持ちです。
朝の7時頃、車を走らせ七尾港に出て和倉温泉街を通り漁港を探しながら海岸線を走りました。途中、幾つかの小さな漁港が有って廃船や陸に上がった小舟の中に梅干しを干してある珍しい光景などを撮りながら軍艦島で有名な見付海岸に着いたのは午後2時過ぎでした。今日は平日と言うこともあって人出も多くありません。一組の家族が女の子を海岸で泳がせていました。その子のイルカの浮き輪?と見付島との対比が面白く写真を撮ったりしながら、ゆっくりと木陰で一休み。その後、今日泊まる予定の飯田漁港の近くにもの凄く大きくて高い祭りの飾りがあって、とにかく珍しいので写真を一枚撮りました。後で分かったことですがこの飾りは「キリコ」と言って明日の夜、灯りをつけて町を練り回った後に9時過ぎにあの見付海岸に何基も集合して沖合の待っている船まで遠浅の海を担ぎながら持っていき船に乗せる有名な「宝立七夕キリコ祭り」に使うキリコだったのです。
勇壮な宝立七夕キリコまつり
(パンフレットより)
今日は飯田漁港に泊まって明朝は漁港を撮影してその後、飯田の朝市を撮る予定で来ました。飯田漁港そばの公園には今夜、祭りがあるらしく大きな提灯が飾ってあります。毎年8月6日に行われる「ちょんぎり祭り」と言って提灯の回りをこの地方の民謡に合わせて踊りを踊ると言うことでした。7時過ぎに暗くなっても提灯に灯が入りません。聞くと今、町の中を踊りながら歩いてくるのでもうすぐ到着するとのこと。その内に人々が到着し、挨拶や提灯への点灯式などがあり、7時半頃から踊りが始まりました。挨拶でこの提灯は日本一の大きさだと言っていましたが聞くところによると修理しながら使っていてもう限界に近く新たに作るという事も困難でこの祭りも先行き難しいと言うことも聞きました。
この「ちょんぎり祭り」を皮切りに明日の「宝立七夕キリコまつり」など、珠洲市の夏祭りが始まるとの事です。
飯田漁港で白々明けてきた朝の4時半頃に起きて漁港を撮っている内に5時も過ぎ一艘の小舟が帰ってきました。「今日はだめっだった」と言っていました。少し待つと昨日ちょっと話した老漁夫の小舟が帰って来たので声をかけて写真を撮らせてもらいましたがやはり魚は無かったようです。もう一隻、夫婦で帰って来た船は船の中で網から魚を外していましたがちょっと遠いのと魚も少なかったようで遠目の写真しか撮れませんでした。4艘ほど帰ってきましたがその後、船の帰る様子も見えず、話を聞くと「今年は特に漁が少なく燃料高騰などもあり、赤字になるので漁に出る人も少なく、もう帰る船はないよ」と言うことでした。最後の船の人は「俺はストレス解消にもなるので趣味でやっているんだよ、でないとこんな量じゃ生活できないだろう、夫婦だけだから家で食べるのにはこれでも十分だけど」と言って小さいクーラーを開けて魚を見せてくれました。
漁港の撮影も終わりと思い、飯田の朝市に来たのは7時少し前でした。飯田の朝市は毎日ではなく2と7の付く日の朝6時から12時まで行われ、輪島の朝市とは違って観光客相手でなく近隣の人々が主なお客のようです。「テントなどもなく素朴な感じ」と本に紹介されていました。並べてある品々もお土産品などは無く、野菜や果物、花などが中心です。確かに素朴でお客も近所の人達でテントもなく雰囲気はいいのですがお客も少なく思ったような写真となるとなかなか難しい物がありました。朝の6時からと言う疑問も旅館とか料亭などか分かりませんが商売をやっている人達が朝早く来て大量に買い付けて行くと言うことで納得しました。写真を撮りながら朝市を一往復したぐらいで撮影を終えて又、車のある輪島漁港に戻ってくると漁港にある市場では大きな船から魚を降ろして市場で目方を量り、その記録を漁師に渡していました。鯛やタコなど漁師によっていろいろです。小舟と違い大きな船はここに持ってくるときにはすでに船の上でせり分けて来るので写真的には絵にならず撮影意欲も沸きません。その内に空が一転して暗くなり真っ黒な雲が出てきて小雨も降り出しました。急に変わった光景になったので異様な感じの漁港を夢中になって撮った後に飯田漁港を出発しました。
本当は今日、7日の夜はすぐ近くの見付海岸で「宝立七夕キリコまつり」があるのでここにもう一泊して祭りも撮りたいと言う気持ちもありましたが写真を撮るとなるとやはり困難が多すぎると思い断念しました。
飯田漁港では暗雲漂い今にも大雨になりそうでしたが雲の流れが速く小雨程度でした。しかし車で走っていると所によっては大雨だったようで道が濡れています。能登半島の突端の車一台しか通れないような道を走りながら漁港を探して走っています。漁港なのか違うのかとも思えるような海辺が多く、あまり車も止めることもなく狼煙漁港や折戸漁港で撮影をしながら今日、泊まるつもりの道の駅「すず塩田村」に着いたのは11時頃でした。もっと時間がかかると思っていたのでここには泊まらない事にして「塩田の出来るまで」などのスライドなどを見た後に次の宿泊予定の輪島に向かいました。途中、有名な能登の千枚田を撮りましたが通りすがりと言うことでは記念に撮りましたと言うだけでどう撮っても面白みはありません。季節と時間帯を考えてわざわざ撮りに来たらよそでは見られない海が背景の素晴らしい棚田風景が撮れるだろうと思います。農道には軽トラックが止まっていて農家の人が機械を使って除草をしているようでした。
昨日、輪島に着いたのは午後2時半頃でした。輪島市内を観光がてら歩いて輪島駅が廃止され道の駅「輪島」になっていてびっくりしたと共に初めてこの辺の能登鉄道が廃止されたのを知りました。輪島漁港は大きくて撮影には適さないと思い、輪島そばの光浦漁港に近い、光浦ポケットパークに昨日は泊まりました。朝の5時前に起きてすぐそばの光浦漁港に来ました。まだ薄暗く、漁港の街頭の灯りと漁港の船などを撮っていると一匹の猫がいて近寄って撮り始めても逃げ出しません。普通なら逃げていってしまうのに人なつっこくてわざわざ近寄ってきて体を足にすり寄せてきます。帰ってきた船の漁師の人と話ながら写真を撮らせてもらっていると魚を狙っていました。漁師の人も手で追い払う仕草もしますが小さな魚をぽいっと放り投げ時々猫に食べさせています。始めはがつがつするぐらいに食べていた猫もさすがに満腹になるとゴロリと横になっていました。家で飼われていた猫が捨てられたのだそうで人なつっこいはずです。ここでも数組の船しか漁に出ていなく、理由は同じでした。
光浦漁港を撮影後、朝市近くの朝市駐車場に車を止めて輪島の朝市に来たのは8時半頃です。この駐車場は広く、トイレもあり有料と言うことでしたが有料は朝市の時間帯だけで昨日の輪島見物時は無料でした。ここは観光客相手なので朝の8時から12時までが営業時間です。8時半頃ではまだ観光客も出足が少なく、ちょっと写真も撮りにくい感じでした。もともとテント張りで風情的にも今は期待も出来ず一回り見学したと言う状態で朝市撮影も終わり、町の見物も昨日終わっていたので9時半頃には輪島を出発しました。
琴ヶ浜(泣き砂の浜)に着いた時間は午後2時前でした。ここに来るまでに太い道路を通らず海岸線、海岸線と回って来ました。海沿いでも山道で猿山岬灯台まで来てそのまま進み門前に出ようと思ったら3月の地震で崖が崩れ通行止めとの事。「えー、ここまで来て」と思いながら少し戻り山道を走っていると数件の家がありました。部落の人に「ここから門前に出るにはどうしたらいいですか?」と尋ねると「このまま進めば15分ぐらいで門前に行けるのだがここも崖崩れで通れないのでもっと戻るしかない」との事でした。「行き先通行止めでこんなに戻るのならその旨の看板でも出しておくべきだ」などと文句を言いながら戻って遠回りして来たので思ったより時間がかかってしまいました。門前に着くと海岸線には交通止めの立て札があり猿山岬灯台方面には行けないのが分かるようになっていました。3月の地震の爪痕は今までほとんど見られなかったのですが大きな所はまだまだ残っているようです。この「泣き砂の浜」の崖崩れはその時の物かは分かりませんが崩れたままになっていて、次に行った「ヤセの断崖」も崩れてしまって写真で見るような鋭角な絶壁ではなく、立ち入り禁止で道路から見るだけでした。
今日は機具岩の夕陽とライトアップを撮りたいと思っていたので泊まるところは道の駅「とぎ海街道」にして、明日の漁港は近くに無いかを調べました。あったのはとぎ漁港、しかし漁港としては大きいので近くにもっと小さな漁港は無いかと探しましたがありませんでした。5時頃に機具岩に戻り撮影を始めると一人の男性も車で来て同じように写真を撮り始めています。まだ陽は高く太陽を入れて機具岩をシルエットにしたりして撮りながらだんだん陽が落ちるのを待っていました。その内に鱗雲のような雲で空一面覆われて美しく、雲を中心に広角で撮影したりしていました。やがて夕陽も丁度良い高さになりましたが雲の感じでは赤く大きな太陽にはなりそうもありません。いつの間にか鱗雲のような雲も無くなっていました。先ほどから一緒に撮っている人と話をしたところ、金沢から撮影に来ているようでした。写真は風景が中心で金沢の方は海に邪魔者が多く、夕陽などを撮るときはいつもこの辺まで来て撮影しているとの事でした。
夕陽はあまり綺麗ではありませんでしたがライトアップに期待をして暗くなるまで待ちました。だんだん光が当たり機具岩が浮かび上がってきます。ところが左側の岩半分にライトが届かず明るくなりません、どうもライト前の杉の木が大きくなって邪魔しているようです。背景の空の明るさとライトアップされている島の明るさが近くなってきたときが一番の露出なので背景が真っ暗になった頃に機具岩の撮影を終わりにしました。
朝の5時頃に昨日探しておいた「とぎ漁港」に着くと大きな市場では今朝、水揚げした魚の入った籠の種分けなど忙ししそうに働いていました。邪魔にはなるし写真的にも興味が沸かないので近づいて撮影をするのはやめました。こちら側の漁港では大きな船がクレーンで網を巻き上げています。大勢の若者が網を持って仕事をしていましたが魚を外している様子でもありません。魚はすでに海の上で外して今やっていることは網の修理とのこと。その内に一艘のあまり大きくない船が入ってきたので慌てて行ってみるとやはり魚を先ほどの市場に卸してここに来たのだと言います。要するにここに船が着くのはもう市場で魚を卸した船しか来ないと言っていました。大きな漁港は希望しているような写真は無理でしたがここでの収穫は朝の眩しい光の中に船と漁夫が明るく浮かび上がった漁港寸景が撮れたことでした。
一組の夫婦の漁師さんと話している内に奥さんと写真の話しに花が咲き、奥さんは沖合で朝日が上がる時は本当に素晴らしく写真を撮ったり、写真を合成して孫に上げたりして楽しんでいるとの事、私のHPも見てくれると言っていました。
朝、8時頃にとぎ漁港を出て、能登半島の撮影も終わり、次の目的地、岐阜の白川郷に向かいました。来る前に白川郷も寄ってみたいと思っていたので調べると最終的には輪島から名古屋、高山などに抜けられる東海北陸道が出来るらしく、現在一部開通しているところが氷見市の隣の高岡市から白川郷まででした。北陸道と交わる近くの小矢部ICから東海北陸道に入り白川郷は一直線で時間もあまりかからず東海北陸道を降りて早めの昼食をとって合掌造り集落に着いたのは12時頃でした。大分前になりますが一度、撮影旅行で来たことがありました。その頃はお店などもなく、生活感のある感じでした。しかし今はメイン通りはお土産屋や民宿などが何軒もあり、すっかり観光化し観光客も大勢来ています。世界遺産に認証されてからは特に変わったと言っていました。メイン通りを一周してあまりの暑さにお土産屋さんの奥にある食堂でかき氷を食べていると裏手の畠に背の高くないひまわりが植えてありました。光も良くて後ろには藁葺きや瓦の小屋があり写真にはもってこいの場所です。店の中から撮った後、ぐるりと回ってひまわり畑に行き広角で接近して太陽を入れて撮影したりして、暑い中でも夢中になって撮ったのはこの時が一番でした。
先ほどはメイン通りを中心に回ったので今度は足を伸ばしてその回りを歩くことにしました。一番の見所は集落が見渡せる展望台です。暑いので登りの多い展望台はと思っていましたがやはり集落を一望できる展望台は見晴らしが良く格別の眺めでした。写真を撮ったり木陰に座って休んだりしていると一人の若者が「写真を撮ってくれませんか」と言って近づいてきました。撮影を頼まれる場合、コンパクトカメラが多いのですが若者のカメラはデジタル一眼レフです。早速、撮ろうとすると「同じように撮ってもらいたい」と写真を出してきました。その写真は若者が子供の頃に親とここに来て撮ってもらったのでしょう、集落をバックにした一人だけの写真でした。集落の角度、子供の大きさなど前の方で普通に撮ったのでは写真が全然違います。自分も下がって若者を近くに寄せて再度写真を確認し、こんな感じだなあという場所でシャッターを切りました。
若者はさっきから居ましたがただ撮って貰うのではなく構図やアングルを子供の頃の写真と同じ様に撮ってもらう為、写真を撮っていた観光客が途切れるのを待って写真を撮ってくれと頼みに来たみたいです。他に何枚かの写真も持っていたので子供の頃、親と旅行して撮って貰った観光地を巡り、その時と同じ構図の写真を撮って若者としての思いでの旅の再現をしているだなあと思いながら若者の心情を考えたり、写真撮影の一つの原点でもあるなあと思いました。
お店で早めの夕食をとり、最後の撮影は薄暮から暗くなるまでの灯りがともった藁葺き家屋の撮影です。午後6時頃になると観光客もめっきり少なくなり、お土産屋さんもどんどん閉まっていきます。カメラに三脚をセットして灯りがついた家を探していますがつかない家も多く、ついた家も窓が一つだったりしてもっと窓があり数件並んで居るところはと思いながら歩きました。先ほどのお店で3軒ぐらい並んでいる場所を聞きましたがどうも見つかりません。その内にどんどん空は暗くなってきます。もっと詳しく調べてその場所に行き、動かないで撮影しなかったので思ったような写真は撮ることが出来ず「後悔先に立たず」でした。
昨日は合掌造り集落の入り口にある道の駅「白川郷」に泊まり、朝6時過ぎに白川郷を出て、高山に着いたのは8時頃でした。市内をぐるりと回りながら宮川に出ると河原では何かイベントがあるようで大勢の人達と車が止まっていました。河原の手前の土手には手筒花火が並んでいて宮川の中には木で作った道が出来ています。ここ宮川では珍しい手筒花火だけの花火大会が開かれるようです。8月は花火やお祭りが多く、手筒花火などは興味がありましたが今回は眺めるだけでした。
宮川沿いに進むと宮川朝市があり大勢の観光客がお店を眺めたり、歩いていました。高山も一度来ているので輪島よりも写真的でないことは分かっていました。ここも本当に眺めるだけで一回り、次に陣屋前朝市にも足をのばし高山は2時間ほどぶらぶらしながら10時過ぎに帰ることにしました。陣屋前朝市は観光客ばかりでなく地元の人達も利用しているようでお土産屋はあまり無く少し雰囲気は違いますがやはり写真を撮りたいという気持ちは起きませんでした。
今回は能登半島の漁港巡りの撮影旅行でしたが去年も感じた以上に今年は漁業環境が悪く、思ったより目的の写真は撮れませんでした。魚の乱獲、地球温暖化等で漁獲が少なくなり、燃料の高騰で赤字になるのでは漁に出れないと言うことでした。漁師さん達は「今年は特に漁が少ない」とも言っていました。車中泊の気ままな撮影旅行は自由が利き、束縛されないので私にあっている楽しい撮影旅行です。今回もトイレ付きの駐車場、道の駅が宿泊場所として多く利用させて貰ったし、能登半島の突端は不便でしたがお店とコンビニで食事は不自由しなく、風呂も国民宿舎やその他も風呂だけOKの施設も点在しているので最近はこんな旅も気軽に出来るようになっていると思います。今回同行した家内も撮影旅行と言うことで自由に撮らせてもらい、本人も家に居るよりはいいのか、まんざらでもなかったらしく、後日「駅の道」の本を買ったぐらいでした。