夜の撮影も今回は浅草に行こうと思っていましたが浅草は総体的にお店の閉めるのが早く撮影も遅くまでできません、そんなこともありお祭りに絡めて午後から撮影して夜もということで鳳神社の酉の市がある21日の今日、撮影に行くことにしました。
地下鉄日比谷線「入谷駅」を降りて少し歩いて2時30分頃に鳳神社に着きました。神社の入り口は大勢の人の行列で前に進めないほどです、多くの人達はここで行列をしてお参りしてから両隣の酉の市に回るようです。去年はたしか3の酉まであったと思いますが今年は2の酉までで9日と今日が2の酉で終わりです、しかしながら昔は寒く酉の市が開かれる11月は木枯らしの吹く本当に寒い時期というイメージでしたが近年は暖かく、今年も寒さは全然感じられずもうじき12月、師走がやって来ると言う気がしません。
酉の市は横浜の真金町の酉の市にしか行ったことがないので十文字に入り組んだ形の両方に出されたお店は圧巻という感じです、境内の中は全部熊手等を売るお店だけで何十軒有るかちょっとわかりません。真金町も以前は道の両方に熊手を売るお店があったのですが今は片方だけでもう片方はお祭りのお店になっています。そんなことで酉の市で熊手等を売るお店は現在10軒以内位になっています。浅草の酉の市は「酉の市起源発祥の神社」と書いてあるとおり、さすが浅草の酉の市と思いました。この写真は丁度この一角の人がとぎれ、売り手のおじさんが暇そうにしていた姿が面白かったので撮りましたが実際はこんな状態ではありません、写真は一瞬を切り取り、そんなタイトルを付けると現状と違った印象になるといういい見本だと思います。
熊手はいろいろな大きさがあり安い小さな物は何千円というのから上は何十万円ということで、あるお店で看板になってもいる一番大きな熊手を「あれはいくらぐらいですか?」とたずねると「お客さんは毎年決まっていて70万位払っていくよ、これだけでなくその他も買っていくのでその総額としておいていく」とのことでした。ちなみにこの熊手だけだと30万円位と言っていました。この熊手も会社の名前が付いていて毎年決まった顧客が買っていくみたいです。又、別の店にはこの写真では読みとれませんが上の方に石原慎太郎先生、石原伸晃様、石原良純様、石原宏高様という石原親子の予約の付いた熊手もあり、芸能人の名前の出ている店もありました。
大勢の人出の中、被写体を探していつものごとくうろうろとさまよいながら歩いています。着物を着た女性の人達が目に留まり、これはと思っていると近くの店のおじさんが店の名前は聞き取れませんでしたが「○○の女将さんだ」と言う声がして目の前で熊手を買うことになりました。毎年の常連さんみたいです、今日はお孫さんの七五三も兼ねて神社でお祓いをした後で酉の市に来たようでした。被写体的には着物を着た可愛い少女と女将さん、これ以上の被写体はないという感じです。買う熊手も決まって「お手を拝借 よ〜い 商売繁盛!」シャンシャンシャンとめでたし、めでたし。
店のある中での人混みも疲れたのでちょっと息抜きに大通りの神社入り口に戻りました。この近くに去年買った熊手を納める大きなボックスがあり、丁度お坊さんの供養のお祈りが終わったところでした。大きな熊手を持ってきてここで納めてからお参りして又、今年の熊手を買っていく、景気は少し持ち直してきたと言っているが一般的にはまだまだ先のこと、商売繁盛を願って熊手はどんどん売れていくということでしょうか。
4時を回ってからそろそろ浅草の夜の撮影と思い、いつもの六区通りまで来ました、5時頃になったのであたりはすっかり暗くなり、いい感じです。ふと気が付くと渥美清と名前の入った写真が目に留まりました。最近も昼は来ていたのですが明るかったので気が付かなかったようです、見るとデン助で有名だった大宮敏充や伴淳三郎、由利徹、古川縁波などそうそうたるメンバーの写真が出ています。亡くなった人々は当然ですが今活躍している人で浅草から出た有名な芸人や浅草に馴染みの芸能人が道の両側に飾られています。一枚一枚写真を撮っていると私を見て気が付いたのか改めて眺めている人もいました。去年の夜の撮影時は気が付かなかったので近くの店の人にいつ頃から飾ってあるのか聞いたら「今年の2月頃ここの道を綺麗に工事したときに一緒に作った」と言っていました。
6時を過ぎるとどんどんお店は閉まっていくし、いい被写体もないので又、入谷の酉に市に戻って来ました。鳳神社の境内以外は浅草までお祭りの夜店が長く続いています、浅草に来るときはまだあまり人通りも多くはなかったのですがこの時間になって戻ると先ほどとは比べようもないほど多くの人でにぎわっていました。あるベビーカステラの店は行列が出来て30人位の人が並んでいました。飴細工の店では職人のおじさんが飴でキリンやいろいろな形を作ってその場で売っています、灯りと言い表情と言い申し分有りません。表情と飴細工を作る手元が見える位置を選んで粘ります、手前に人は入るし50o(デジタルで75o相当)レンズでのピント合わせも大変です。同じレンズでも昼は自動でピントが合うのに夜は合いにくいのか少しずれた所にピントが合ってしまいます、自動で合わせて手動で微調整、これをやらないとなぜか合わない、手動の微調整これも夜はあわせにくいという事で何枚も撮るほか有りません、粘ってなんとか今日の1枚が撮れたと思われた瞬間でした。
飴細工の夜店を撮って境内に戻るともうそこは昼にはなかった混みようで歩くことも出来ません。前に行こうにも人の流れがないので止まったまま身動きも出来ない状態です、今日は月曜日ウイークデーなので昼は混雑していてもこれほどではなく、夜は仕事が終わってからという人が集まりこの大混雑。これでは撮影どころではありません、一応少し回ったけれどもう8時も過ぎ予定的にも帰る時間になったので今日は終わりにしました。それにしてもこの夜の混みようは驚きです、お祭り的には魅力がありますがあまりにも混む夜はさけて昼中心で又、撮影に来たいと思いました。
少し街を歩きながら早めの食事をして又、浅草を歩いています、先ほど浅草に関係ある芸能人の写真があった六区通り近くに戻ってくると閉まった店のシャッターにペンキでイラストを描いている人達がいました。そう言えば先ほどもここに脚立はおいてありました、食事か休憩を取っていたのかもしれません。もう閉まっている店も多くあり閉まったシャッターにはこのような共通して江戸時代の町模様が描かれています、浅草の商店のシャッターを統一した絵柄にしてより浅草らしさを表現しようとしている商店会のアイデアだと思います。いろいろな所に街おこしやその努力が垣間見られ浅草商店街のたくましさが感じられました。